
ジノリの歴史は フィレンツェにほど近いドッチァから始まります。カルロ・アンドレア・ジノリ侯爵が、ホワイトゴールド(白い金)として尊ばれた白磁の製造を夢見て窯を創設し、それが今では世界中のスタイルアイコンとしてその名を知られるようになりました。いまなお、白磁をピュアな美へと形づくるフィレンツェにあるジノリの伝統は変わらず受け継がれています。

ヨーロッパにおいて磁器の製造が発展し、新しい様式や世の中の流行を土壌とし主要な窯が誕生した重要な時期でした。ドッチァ窯で、カルロ・ジノリ侯爵は古からの伝統の要素により現代的な影響を併せ持った表現ができる創造性の領域を求めました。ドッチァ窯は磁器から芸術を生み出す技に命を与え、ジノリは磁器の彫刻製造の世界的な基準点としてその名を知られるようになりました。

ジノリの磁器は贅を極めた邸宅での主役に
貴族の館、城、大邸宅の庭におかれるドッチァ窯の時期はエレガンスと洗練の代名詞でもありました。この時期に柳や藁の籠の編み込み模様が磁器のレリーフとして誕生し、金を使った贅沢な装飾が施されコレクションはさらに豊かなものとなりました。

世界的な傾向とメイドインイタリースタイル
国際万博博覧会が開催されるようになり、自然派やロマン主義が世を席巻。花々を描いたモチーフや、テーブルを飾るあらたな柄が誕生しました。

理性が重んじられた世紀から細やかな感情を重んじる時代へと移行したこの時期には、芸術の傾向や磁器製造の発展への新たな章となりました。フィレンツェは理想的美を重んじる学術支持者と自然な美しさを尊ぶ自然主義提唱者が論争を活発に交わす場となりました。1806年には工場の運営はレオポルドカルロ・リッシ侯爵に委ねられました。若き継承者はすぐに広い視野を持つ事業家として才覚を表し、透徹した刷新を行いました。

未来を想像するために、過去を旅した芸術
工場はさらに拡大し、リチャードジノリ陶磁器会社が誕生。代々受け継がれきたクラフトマンシップは新しい技術と出会い、新しい特許のおかげでその創造性はさらに完璧を極められることとなりました。


天才芸術家ジオ・ポンティ
アートディレクションは、偉大な巨匠ジオ・ポンティに委ねられ、ジノリの製品はヨーロッパ中に、新しい装飾的なソリューションをもたらします。

1923年から1933年まで、工場のアートディレクターはジオ・ポンティに委ねられました。 巨匠は、古代の嗜好と東洋文化への敏感さと敬意を払い、非常に革新的な要素を導入する能力を持ち合わせていました。 1925年にパリで開催された万国博覧会で、工場とその芸術監督の両方にグランプリを授与されました。

Ginori 1735は、テーブルの芸術を素晴らしい様式に変えます。
ジョヴァンニ・ガリボルディは、工業製品の芸術を日常の次元に投影しています。 Ginori 1735テーブルセットは、ミニマルかつ本質的なデザインでクラス感を表現します。 新しいスタイルと現代のトレンドを解釈するために、機能的で洗練されたエレガンスの新しい形が生まれます。

スタイルを問わず、ただひとつのミューズ:卓越性
フランコ・アルビーニ、フランカ・ヘルグ、アントニオ・ピバ、セルジオ・アスティ、アキーレ・カスティリオーニ、ガブリエレ・デヴェッキ、カンディド・フィオール、ジャンフランコ・フラッティーニ、アンジェロ・マンジャロッティ、エンゾ・マリ、アルド・ロッシなど、現時点で最も偉大なイタリア人デザイナーにより、工場は刷新されます。

そのルーツを忘れることなく進化する芸術
2013年ジノリはグッチに買収され、アートディレクターはアレッサンドロ・ミケーレに委ねられました。
2016年ジノリ1735はケリンググループの傘下となり、アートディレクションはアレッサンドロ・ミケーレが率いていたデザインチームに託されています。
ジノリ1735は今日、イタリアそして芸術的な磁器製造の分野においてクラフトマンシップ、創造性、そして弛みない進化を兼ね備える卓越したブランドとして歩んでいます。